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資本論とブルシット・ジョブ

NHKの100分de名著で斎藤幸平先生の評論を聞いて、その後テキストを読んでの覚書です。
決して資本論を読んだわけではありません(笑)
430ページもあるデヴィッド・グレーバーのブルシットジョブ~クソどうでもいい仕事の理論~も流し読みしかしていません。なんせ膨大な事例ばかりなので。
おまけに斎藤先生の表現とマルクスの文章が混じっています、ごめんなさい。
読んで、
・なんで働く人だけでなく、経営者もこんなに不安で幸せな働き方ができないんだろう
・経営者はどうしてこんなに欲深いのか、働く人はどうしてロボットやシステムにこんなに怯えないといけないのか
・生産性を上げるのは社員さんたちのためだと、なぜ分かってもらえないのか
・どうして人はどんどん贅沢になっていくんだろう、どこに行きつくんだろう
・食べ物ロスがこんなにある我が国とたくさんの飢餓の国が並行しているのはおかしいのでは
という自分なりに悩み続けた問いの答えがありました。以下抜き書きです。

資本家の本能
資本主義社会では「資本を増やす」こと自体が目的になる
自動化された資本の運動が社会全体を覆うようになると、人間も自然もその運動に従属して、利用される存在に格
下げされてしまう。
再現なく勝ちを増殖して資本を蓄積していく運動に飲み込まれ人間も自然もその画車になっていく
資本家も、自動化された価値増殖運動の歯車でしかない

労働力と労働の違い
「労働力」とは、労働する能力。労働者と資本家の間で等価で売買されているのはこの労働力買うと決めた時点で
は、まだ労働は行われていない
資本家は「労働が生み出す価値」を労働者から買っているのではなく、「労働力という商品の価値」に賃金を支払
っている

逃げ出せない理由は自由だから
1、奴隷のように鎖でつながれていない、好きな仕事につくことができる
2、生産手段からも「自由(フリー)」になった、生きていくために必要なものを生産する手立てを持たない、
大半の人々は自給自足できない、普通の人々が生活のために売ることができるのは、唯一自分自身の労働力だ
けだ

なぜ資本家は生産力をあげようとするのか、それは商品を「より安く」生産して市場で勝ち残るためである

資本主義は膨大な富をもたらししたようにみえるけれど、私たちの欲求や感性はやせ細って、貧しいものになっている

翌日も働けるように自らの「商品」たる労働力を回復させなければならない。マルクスはこれを「労働力の再生産」と表現しているが、労働力の再生産費は生活にいくら必要かで決まる。社会の生産費が上がって安く生活できるようになれば資本家は賃金を下げて、まるまる余剰価値となる、「相対性余剰価値」という

生産性が上がるということは「人々の労働からの解放」や「労働者の生活を豊かにすること」を目指すことではなく、労働者たちがますます過酷な労働へと追いつめられるようになること

裁量を与えられないままに経営者目線で働くのであれば、現代の労働は依然として「実行」しているだけで「構想」からは分離されている。

「人間にしかできない」仕事、しかも社会的に重要な仕事に従事するエッセンシャルワーカたちに長時間労働と低賃金という負荷がかけられているという現実

文化人類学者のデヴィッド・グレーバーは、そもそも社会的にさほど重要とは思われない仕事、やっている本人でさえ意味がないと感じている高給取りの仕事、「ブルシット・ジョブ」は、生産力が高くなりすぎて意味のない労働でも作り出さないと、週40時間労働を維持できない状態になってきている裏返しであると書いている

資本主義が爛熟した現代社会の実態は、無益で高給なブルジットジョブがはびこる一方で、社会にとって必要なエッセンシャルワーカが劣悪な労働環境を強いられている

ロボットやAIで「労働」そのものをなくしてしまおうという発想はマルクスに言わせれば問題の所在を取り違えている。構想と実行の分離を乗り越えて労働における自律性を取り戻すこと
パラダイムシフトをもたらすような真のイノベーションのためには、労働者たち自身が、絶えざる競争から距離を置いたり、自由にいろいろな発想や朝鮮ができるような環境整備が必要となる。

資本の強奪欲は自然にも及ぶ
「土地」の疲弊と「労働力」の消耗は同源であると指摘している、元凶は再現のない増殖を目指す資本の「盲目的
な強奪欲」と断じている
資本主義的生産様式は、都市労働者の肉体的健康と農村労働者の精神生活を同時に破壊する(マルクス)

資本主義は価値の増殖を「無限」に求めるが、地球は「有限」だ。
本来の循環過程と資本の価値増殖過程は、まったく異なる論理で営まれているので2つの過程の間に大きな乖離が生じてしまうのは避けられない。
ありとあらゆるものを商品化し、商品の「価値」という1面にのみ注目して動く資本の(単純)化された論理では、人間を含めた生態系の(複雑)な過程を捉えることはできない

【以下山口】

豊かになり、贅沢になり幸せの価値を見失う中で、追い立てられるように生産性を上げようとする資本家も決して安穏としているわけでなく、強烈な危機感の中で生きています。
社員さんたちは自分を取り巻く環境が爛熟した資本主義経済の中で行き着く先を見失っていることに気が付いていません。ただ漠然とした不安を抱えながら生きています。労働生産性を上げるのは会社のためではない、社会のためだと言い切れる経営者がどれほどいるのでしょう。大きな視点を持たないと軸が持てない時代になったとつくづく思います。複雑に絡み合う現象が私たちに現実を見えにくくしています。
なぜこうなったのかを知ると自分の立ち位置が見えてきます。そして行動につながります。
私は「労働」と「食」という人にとって大切なことが、抑制されずに膨張する波に飲み込まれ崩壊するのを黙ってみていられません。膨張する欲望で脱炭素社会が進まないことも許せません。
自分のできることから行動していこうと思います。キャリア教育や企業のコンサルティングや有機農業をやはりコツコツやる遂げないとと思いました。良い本に出会いました。

 

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